函館塩ラーメン起源

明治期「南京そば」のルーツに関する調査

明治期「南京そば」のルーツに関する調査レポート

清末の中国古典料理書に見る麺料理の記述

清代の文人・袁枚による料理書『随園食単』(1792年頃)には、当時の麺料理の調理法がいくつか収録されています。例えば「鳗面」という麺料理では、大きな鰻を蒸して身をほぐし、小麦粉の練り粉に鰻肉を練り込み、鶏の清湯(澄んだスープ)で生地を捏ねて細麺にし、仕上げに鶏汁・金華火腿の煮汁・椎茸の煮汁で麺を煮含めるとありますshidianguji.com。これは澄んだ鶏スープにハムや椎茸の旨味を合わせた清湯スープで麺を調理する方法を示しており、中国における清湯麺(澄んだスープの麺料理)の一例と言えます。また「裙帯面(スカート帯麺)」の項では、麺料理は汁(汤)が多く餡(卤)が濃いほど良く、丼の中で麺が見えないくらいが妙であると記されており、麺にたっぷりと旨味の濃い汁を張る当時の様式が窺えますshidianguji.com。ただし、清湯(透明スープ)自体は淡白で油分少なく仕立てる場合も多く、高級素材の燕窩のスープでも「此物至清、不可以油腻杂之」(この料理は極めて清澄で、油っこいものを混ぜてはならない)ともあり99csw.com、清湯スープでは澄んだ旨味を重視して醤油などで色を付けない調理も行われていました。袁枚の書に「南京麺」という直接の言及はありませんが、鶏ガラ清湯と金華ハム等で取った上湯(高級スープ)で麺を食べるような記述から、清末までに澄んだ塩味系の麺スープが中国本土に存在したことがわかりますshidianguji.comshidianguji.com。なお、同書には麺生地の製法にも触れられ、鶏清湯で生地を捏ねるなどスープの風味を生かす工夫も見られますshidianguji.com。これら古典文献は、明治期の日本で言う「南京そば」のベースとなった**中国式汁麺(湯麺)**の伝統を示唆しています。

清末から民国初期にかけて南京で書かれた『白門食譜』(張通之, 1919年頃)は、南京(古称・白門=金陵)の料理をまとめた貴重な資料です。この中には麺料理の例として「魚翅螃蟹面」が登場し、極細の銀絲麺(後述の「銀絲面」)にフカヒレと蟹の身を合わせた高級麺料理が紹介されています。記述によれば、ある豪家の婦人が蟹麺を思い立ち、使用人に蟹を数匹とフカヒレを用意させ、銀絲麺ほどの極細麺で仕立てたところ非常に美味であったといいます。その麺線は**「銀絲面之細如線,亦異於市上之所售」(市販の麺より格段に細く糸のよう)と称されkknews.cc、麺の細さ・繊細さが特筆されています。この記述からも、当時の南京では非常に細い麺(銀絲麺)を用いた上湯仕立ての麺料理**が供されていたことがわかります。kknews.cc

また、南京の麺そのものの特徴に触れた古典資料として、清初の『清異録』の逸話が**「金陵士大夫…湿面可穿結帯」(南京の士大夫の家では湿った麺を帯のように結んで通せる**)と記し、南京の麺は非常に長く強靱であったと伝えていますdfz.nanjing.gov.cn。これは南京の手延べ麺がコシと弾力に富み、非常に長尺で切れにくいことを誇張して伝えたものです。このように古典文献からは、南京を含む江南地域で発達した麺の技術(細く伸ばす・強靱にする)や、澄んだ旨味スープで食す文化が読み取れ、日本の「南京そば」の背景となる中国側の麺料理像が浮かび上がります。

金陵(南京)地方の麺料理の内容と特徴

南京は古く「金陵」とも呼ばれ、その土地の麺料理は清末民初期にかけて独自の発展を遂げました。特に清湯麺(澄んだスープの麺)や塩味の湯麺に相当するものとして、「陽春面」が南京で誕生しています。南京の陽春面は清末頃(19世紀末)に登場した素朴な汁麺で、別名を光麺、単麺、湯麺ともいい、当時一杯十文だったことから隠語で「陽春(陰暦十月の俗称)」と名付けられ広まったものですdfz.nanjing.gov.cn。陽春面の麺そのものは太さ幅に決まりはありませんが、スープには必ず豚の大骨からとった高湯(上質な出汁)を用い植物油は使わず代わりに豚の板油(ラード)を加えるのがポイントでしたdfz.nanjing.gov.cn。味付けの基本は醤油と葱油(香味葱を油で揚げたもの)で、醤油のコクとラードの旨味でシンプルながら滋味深い清湯スープに仕上げていますdfz.nanjing.gov.cn。この南京陽春面は「一切の麺料理の基礎」とも言える位置付けで、後に様々な具を乗せた各種“○○浇头面”(○○乗せ汁麺)の土台ともなりましたdfz.nanjing.gov.cn。実際、「麺の上に具をかける(浇头)」発想で、陽春面に牛肉を乗せれば牛肉麺、青菜と豚肉の炒めを乗せれば雪菜肉絲麺、というように応用されていますdfz.nanjing.gov.cn

南京麺料理の中でも具材を特色とするものとして、有名な鶏絲麺があります。南京の老舗・奇芳閣では「雞絲浇面(鶏し絲あんかけ麺)」が看板料理の一つであり、その特徴はスープが驚くほど澄んでいて淡く、麺が細く繊細であることですwenxiaobai.com。奇芳閣の鶏絲麺では一切醤油を加えないため色は透き通ったまま、味わいは極めてあっさりしていますm.cchhbk.com湯底(スープ)の旨さと鶏肉の風味こそが命とされ、下ごしらえした若鶏の胸肉・腿肉の繊維を細く裂いた鶏絲と、生姜、葱などを合わせて仕上げていますm.cchhbk.com。スープは仔鶏を用い、臭み無く澄んだ上湯に仕立て、そこに茹でた極細麺と鶏絲を盛り付け、香り付けにごく少量の芝麻醤(胡麻ペースト)を添えるのが伝統的な製法ですm.cchhbk.com。奇芳閣の「鶏絲浇面」は南京の秦淮八絶(秦淮八大名物)の一つにも数えられ、「汤清丝细,口感纯正」(スープは清澄で麺線は細く、味わいは純粋)と評されていますwenxiaobai.com。このように南京では清湯(透明スープ)に細麺を合わせ、鶏肉の細切りや青菜などを乗せる上品な麺料理が古くから親しまれてきました。

一方、「鹽水麺」という呼称も文献上見られます。これは文字通り「塩水で作った麺」を指しますが、江蘇省常州・無錫一帯では極細の白い乾麺「銀絲面(ぎんしめん)」を塩水麺とも呼称します360doc.commaimai.cn。銀絲面は麺線が髪の毛のように細く、色は銀のように真っ白、茹でても糊状に溶けず滑らかでコシがあるのが特徴でmaimai.cn、1912年に常州で創案され百年以上続く伝統麺です360doc.com(上海や蘇南地方に広まったため上海・江蘇の郷土小吃として知られる)。生地には小麦粉に塩水と卵白を加えて強靭に練り上げ、72もの工程を経て手延べで麺線を引き伸ばしますmaimai.cn。茹で上げた銀絲麺は、スープ仕立てにも炒め麺にも用いられますが、例えば茹でた麺に熱したラードと炭火で炒った唐辛子粉、刻み葱を和える食べ方が紹介されていますmaimai.cn。銀絲面=鹽水麺という呼称は、生地に鹹水(塩水)を使うことに由来しますが、同時にアルカリを加えないため色白でソフトな口当たりとなる点に特色があります。一方で中国全土では鹼水麺(碱水面)と呼ばれるアルカリ水を加えた麺も広く発達しており、こちらは生地に鹼(水酸化ナトリウムや炭酸ナトリウムを含むかん水)を入れることで黄色味を帯び、コシが強く弾力ある麺になります。南京では民国期に既に鹼水入りの麺が使われており、1926年創業の劉長興麺館では麺を一度沸騰湯で下茹でして鹼水臭さを抜き(碱味を去る)、さらに湯通ししてから本茹でして提供する工夫を凝らしていましたdfz.nanjing.gov.cn。この劉長興の刀切麺は半透明でコシが強く、長時間煮込んでも伸びにくい上質の麺だったと伝えられますdfz.nanjing.gov.cn。つまり南京・江南の麺文化には、塩のみで作る白く繊細な麺(盐水面=銀絲面)と、鹼水で作る弾力麺(碱水面)の両方が存在し、それぞれ用途に応じて使い分けられていたのです。明治期に函館で提供された「南京そば」の麺も、当時の記録からストレートの細麺であったことがわかっておりtenposstar.com、中国伝来の鹼水麺(中華麺)特有のコシと滑らかさを備えたものだった可能性が高いでしょう。鹼水の使用により麺は日持ちし伸びにくくなるため、開港都市の華僑が日本に持ち込んだ麺も鹼水麺であったとの指摘がありますfinance.china.com。実際、日本人向け資料でも函館ラーメンの麺は柔らかめの中細ストレート麺と解説され、加水が多く茹で時間が短い中華麺が用いられてきたとされていますja.wikipedia.org。以上より、「南京そば」の麺は中国江南流の細麺で、恐らく鹼水を用いた中華麺(あるいは卵白を用いた銀絲麺)の技法で作られ、日本の蕎麦やうどんには無い歯切れの良さと腰を備えた麺だったと推測されます。

南京系の麺料理に使われる具材・トッピングにも特徴があります。典型的なのは前述の鶏絲(茹で鶏肉の細切り)や青菜(季節の葉物野菜)で、奇芳閣の鶏絲麺でもメイン具材として大量の鶏絲と青葱があしらわれていますm.cchhbk.com。他にも南京では、叉焼(チャーシュー)に相当する紅焼肉や焼豚を麺の上に乗せる習慣は元々あまりありませんでしたが、華僑ネットワークを通じて広東の叉焼が伝わり各地の麺料理で用いられるようになりました。広東では昔から叉焼肉を載せた捞麺(汁なし麺)や湯麺があり、香港の雲呑麺でも叉焼が添えられることがあります。同様に、函館の「南京そば」や後年の塩ラーメンでも焼豚(チャーシュー)が代表的な具材の一つとなっていますtenposstar.com。実際、函館ラーメンの典型的な一杯には焼豚、メンマ、長葱、ほうれん草などがシンプルに盛り付けられており、澄んだスープの風味を邪魔しない範囲で青菜や肉類が添えられますtenposstar.com。南京の麺でも、例えば皮肚麺(南京名物の一つ)では豚の干し皮(揚げ豚皮)、肉絲、豚肝、青菜、玉子焼き、木耳、筍、香腸(腸詰め)など十数種類の具材を“大雑把(大雑把)”に豪快に乗せるといい、具沢山の一杯が特徴ですdfz.nanjing.gov.cn。このように青菜や肉類を麺に乗せる文化自体は中国に広く存在し、「南京そば」においても提供した広東人シェフの好みで叉焼(広東風焼豚)や鶏絲、青梗菜などが具材に選ばれていた可能性があります。特に函館の養和軒の新聞広告には詳しいレシピは残っていないものの、「当時は銀杏や錦糸卵などが使われることもあった」ことが伝えられておりtenposstar.com、彩りや高級感を演出する中華風の錦糸卵(鶏卵の薄焼き)や銀杏といった具材も供されたようです。銀杏は南京特産の食材であり、南京料理(例:桂花糖芋苗など甘味や八宝鴨などの蒸し料理)にも登場します。錦糸卵は中国の伝統料理そのものには珍しいですが、満漢全席の飾り付けなどで卵を薄焼きにして千切りにする技法は存在し、日本人にも親しみやすい見た目から採用されたのかもしれません。以上を整理すると、明治期函館の「南京そば」は、澄んだ塩味スープに中国伝統の細麺を合わせ、具には鶏絲や叉焼などの肉類、青菜、葱を基本とし、場合によって錦糸卵や銀杏をあしらった中華風塩味ラーメンであったと推定されます。

函館の「南京そば」と中国麺文化・塩ラーメンへの接続

函館で明治17年(1884)に提供された「南京そば」は、日本におけるラーメン起源の一つとされますが、これを生み出した背景には華僑による中国麺文化の伝播がありました。幕末〜明治期、横浜・長崎・函館など開港都市には清国からの水夫や商人が居留し、そこで中国の湯麺(スープ麺料理)が最初に広まったと考えられていますfinance.china.com。日本人は当時、中国の中心地名からそれを「南京麺(南京そば)」と呼び習わしており、横浜・神戸・長崎・函館でまず「南京麺」として中国式ラーメンが出現した記録がありますfinance.china.com。函館でも江戸末期から華僑(当時、函館の人々は中国人を「広東さん」と俗称)が居住し、広東出身の陳南養(ちんあよん)というコックが西洋料理店「養和軒」で南京料理とともに**「南京そば」一杯15銭で提供したという新聞広告が残っていますtenposstar.com。この陳氏は函館の英領事館の料理人も務めた経歴があり、本格的な中華麺を函館にもたらしましたtenposstar.com。陳氏ら華僑が函館にもたらしたのは、まさに広東料理の豚骨や鶏ガラをベースにした透明な清湯スープの麺料理(湯麺)であり、これが後に言う函館塩ラーメンのルーツになったとされていますtenposstar.com。函館塩ラーメンの特徴である澄んだ透明スープは、豚骨や鶏ガラ、昆布等を沸騰させないよう弱火で煮出すことで白濁させず旨味を引き出したものでja.wikipedia.org、この手法は中国の清湯スープの取り方と合致します。実際、南京でも大骨と老鶏をじっくり煨出した汤が麺料理の命とされdfz.nanjing.gov.cn、函館でも豚骨・鶏ガラを丁寧に煮出した清湯に塩ダレで調味するスープが受け継がれましたja.wikipedia.org。味付けに醤油を用いず食塩であっさりと整える点も、中国の陽春面や鶏絲麺など淡い塩味系の麺を思わせますm.cchhbk.com。函館ラーメンの老舗では「支那そば(南京そば)」と呼称し続けた店も多く、2000年頃までメニューに「塩ラーメン」という言葉が出てこないほど、地元では中華麺=支那そば=塩味が当たり前でしたja.wikipedia.org。このような文化的連続性は、まさに明治期の「南京そば」から昭和・平成期の函館塩ラーメンへの直系の繋がり**を示しています。

現代の中国の食文化研究でも、日本のラーメンの源流として「南京麺(南京そば)」に言及する例があります。たとえば中国の第一財経による記事では、「清末の中国人水夫と厨師が横浜・神戸・長崎・函館などの港で最初に“南京面”を広めた」と紹介され、日本初の中華麺ブームを位置づけていますfinance.china.com。また、中国系アメリカ人研究者バラク・クシュナーの著書でも、日本におけるラーメン史の冒頭に「19世紀1880年代に広東辺りの移民が横浜に拉麺(ラーメン)を持ち込み、それが日本人には南京そばと呼ばれた」との指摘がありますinvisible.school。つまり「南京そば」=中国から伝来した清湯麺であることは日中双方で共通認識となっています。函館の例では、2008年に地元有志による**「南京そば復刻プロジェクト」が行われ、明治期に流通した食材を参考に再現が試みられましたtenposstar.com。復元された「南京そば」は、鶏ガラと豚骨昆布の清湯スープに中細麺、具は叉焼・メンマ・葱・ほうれん草・麩・錦糸卵・銀杏などを組み合わせたもので、高値だった15銭という価格設定(当時の貨幣価値で現在の2千円相当)もありハイカラな洋食店で提供された中国麺**として再評価されていますtenposstar.com。このような試みや研究によっても、函館塩ラーメンと中国南京麺文化の繋がりが再確認されました。

総合すると、明治期函館の**「南京そば」**は、清末の中国江南~広東で発達した清湯塩味の麺料理を日本人向けに提供したもので、そのレシピ要素は以下のように推定されます。

  • スープ(汤底):豚骨・鶏ガラ主体の透明な清湯スープに塩で調味。tenposstar.comdfz.nanjing.gov.cn 油はごく少量のラードや鶏油を用い、醤油は使わず極めて淡い塩味で仕上げる。(※昆布や干し椎茸等も函館では使用tenposstar.com。中国では金華ハムや干し貝柱を使う例もありshidianguji.com。)
  • 麺(面条):小麦粉をベースに鹼水(かん水)を加えた中華細麺。ストレートで喉ごし良く、時間が経ってものびにくいコシのある麺。dfz.nanjing.gov.cntenposstar.com(※常州系の**銀絲麺(盐水面)**の可能性もあるが、広東系華僑の技法から鹼水麺が有力。)
  • 具材(浇头)叉焼(広東風焼豚)または煮豚スライス鶏絲(ゆで鶏ささみの裂き身)、青菜(ほうれん草や青梗菜)、葱などシンプルなもの。tenposstar.comm.cchhbk.com 加えて高級食材としてゆで銀杏や、彩りの錦糸卵を添える場合もあった。tenposstar.com
  • 風味付け:仕上げに葱油(香味油)や白胡椒少々を振り、動物系のコクを補う。南京伝統の鶏絲麺では芝麻醤を隠し味に用いた例もありm.cchhbk.com、当時の養和軒でも胡麻油や香味油を一匙垂らしていた可能性がある。

以上のように、文献調査から得られた中国側のレシピ要素を総合すると、函館「南京そば」は中国清末の清湯塩味麺(南京・広東系)を日本で再現したものであり、そのDNAは現在の函館塩ラーメンにも受け継がれていると言えるでしょう。tenposstar.comfinance.china.com

参考文献・出典